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心のバトンを渡す。

目次

心のバトンを渡す。

僕の名前は、山田真樹(やまだ まき)
僕は陸上競技の短距離を専門とするアスリートとして活動している。

【陸上競技で見つけた「失敗」を「正解」にできたプロセス】

突然だが、あなたに尋ねたい。
大小問わず、苦しいほど後悔したことはあるだろうか?
そのどうしようもない気持ちに対してケリをつけるにはどうすればよいだろうか。
僕は、その失敗を一年後に活かすことに成功した。そして、「あの時、失敗して良かった」と思っている。

2015年、高校3年生(18歳)の時だった。
南関東インターハイ予選会があった。
決勝戦で6位に入ったらインターハイ出場権が得られる。
そして、僕はこれまでの練習の結果を十分に発揮できて決勝に残った
「もしかしたら、インターハイに行ける?!」
と自分も先生も同級生も落ち着いてはいられない状態だった。
僕も既にインターハイに行った気持ちでいた。
そして決勝のレースを走った。結果、ビリだった
悔しいほど後悔した。
その時の学びは、「決勝に行った=勝った」ではないという反省だった。
めちゃくちゃに引きずった。
しかしこの時の失敗と後悔と反省が、近い将来、金メダルを得られる大きな学びになるとは露にも思わなかった。


2016年、大学1年生(19歳)の時、世界ろう者陸上競技選手権大会inブルガリアの試合でも、決勝まで勝ち続けることがきた。周りも「メダルが取れるのでは?」と喜んだ瞬間があった。
しかし、自分は去年の反省を活かして、逸る気持ちを抑え冷静であろうと尽力した。
そうして、200m、400mでは銀メダル、リレーでは銅メダルを獲った。
「いつも通り」に走ることに専念し、己との戦いに勝った。
それを忘れずに、2017年トルコのサムソンでもその反省を活かせた。あの時の失敗と反省が、思わぬことに金メダルを二つ、銀メダルを一つとる道筋につながった。

点と数々の点が思いがけなく結んで結果となったとき、不思議な心地になった。
高校のインターハイ予選会が終わった時、後から後から「なぜ、あの時ああしてしまったのだろうか」とチャンスをふいにしてしまった悔しさに対して、苦く噛み締めていた。
けれど、意外や意外に、大きな結果へつながった。
あの時の失敗や後悔の意味を、「あの時、これで良かったんだ」と、正解にできた瞬間、自分を認められた。
これらがこれからの人生の内で、同じように他のことにも活かせるかどうかは、これからの学び次第だと思う。
今後も活かせると思えるし、そう信じている

僕が陸上にこれほど熱中し、アスリートになったきっかけはなぜだろうと思うだろうか。
元々足が速かったから?
いいや、違う。
中学3年まで運動にかけてはぱっとしなかったにもかかわらず、こうして僕は今、走ることを仕事にしている。
僕の足が急に速くなった理由について自分でもよく説明ができない。
けど、こう思っている。
人によっては、にわかに信じがたいと思うが、僕はこんなことがあった方が面白いと思っている。

僕は、2011年の3月11日に起きた東日本大震災で、母の母国であるイギリスへ行った。
はじめは二人で行ったが、帰りは三人で帰った。
これはどういうことだと思うだろうか。
途中で誰かと帰った?
そう。

“神さま”と一緒に日本に帰った”のだ。

イギリスへ行って1ヶ月滞在した。
帰国後、新学期に学校で体力テストがあった。
今まで体力テストの結果はごくふつうだった。しかし、この時から徒競走でぶっちぎりの一位をとるようになった。その快進撃はとどまらず、関東ろう陸上大会でもトップの記録を残せた。
それ以来、陸上に熱中することになった。
そして、その数年後も結果を残し金メダルを得るという機会に恵まれた。
僕は、あのイギリスから日本へ飛行機に乗る時、イギリスの神さまと一緒に帰ってきたのだと思う。
1週間の滞在中に、公園で走ったときに神様と出会ったと信じている。
そのギフトのおかげで、僕は懸命に頑張って結果を残すこと、即ち、陸上で走る楽しさを知れた。
現在もその恩を忘れずに、今でも苦しいトレーニングを励んでいる。

【パントマイムで“気持ち”を伝える道も】

僕の人生は陸上にスポットライトがあてられがちだが、パントマイムも情熱を持つほど大好きである。

パントマイムをご存知だろうか?
身体で表現する芸術の一つである。

パントマイムの出会いは学校の放課後の活動で、
パントマイムワークショップがあった。
小学4年生に舞台に出たことがあって、そこでの体験が“生き甲斐”を得るきっかけになる。体で気持ちを思い切り伝えて、「伝わった!」ということが最高に気持ち良かったのだ。
中学一年まで続けていた。
パントマイムワークショップ解散後、しばらくパントマイムには行ってなかったのだが、突然高校一年の時、池袋にある「あうるすぽっと」で表現者、即ちプロとして舞台に立つことになった。
それから、高校三年の時にニューヨークでもパントマイムを表現者として披露した。
久しぶりに小学生の頃と変わらない生き甲斐を感じた。身体で伝えること、表現すること、想いをかたちにすること。
同時に陸上を続けながら将来のプランも立てた。20代は現役で陸上で活躍する。30代ではセカンドキャリアとしてパントマイムの道を突き進む予定だ。
パントマイムの魅力にかつてなくとりつかれたのは、僕自身がろう者で、音声を用いない言語の持ち主だからだと思う。
音声でなく、身体(しんたい)の声で、人に伝える。その過程たまらない活力を覚える、これが醍醐味だ。

【ろう者としてのアイデンティティ】

ここで、身体の声、ろうという言葉を見て、僕は、ろう者というアイデンティティで生きていることにお気付きであると思う。
生まれつききこえず、物心つく頃には、ろう学校に通っていた。
小学5年の時、デフファミリー育ちの転校生がやってきた。声を出さず手話で会話する姿を見て、僕のろうとしてのアイデンティティが目覚めたきっかけにつながった。その友だちと一緒に話し、手話言語を自然と習得できた。ろうとしての自覚がより一歩進んだのは、この出会いが大きく影響していると思う。

聴者の読者にこのメッセージを送りたい。
僕は必ずしも手話を身に付けてほしいとは思っていない
ただ、伝え方はいろいろあるということを知ってほしいなと思う。
例えば、あなたはボリュームが高いイヤホンを付けながらコンビニで買い物とする。
コンビニでレジの店員さんがマスクを装着しながら何かを喋っている。イヤホンを付けているあなたは聞き取れないと思う。

それが私たちの日常生活の一部である。
(想像できるだろうか?)

コンビニの場面で、レジで言うことの決まり文句はあるから、なんとなくこんなことを言っているんだろうなと想像しながら生活を送っている。
そこで、イヤホンを付けているあなたがわざわざイヤホンを外さずにレジの店員が言っていることが分かればいいわけだ。
例えば、クレカで支払うなら、クレカを提示する。ポイントカードで支払うなら先にポイントカードを見せる。
このように、身振りをちょっと工夫すると通じるのではないだろうか?

「袋いりますか?」だったら、ビニール袋をちょっと掲げて見せる。
「箸とスプーンいりますか?」だったら、声だけでなくさりげなく、箸とスプーンを見せて示す。それだけでコミュニケーションがわかる、とれる

身振りを少し意識してくれるだけでも、僕はたいへん嬉しい。

聴こえない、聴こえづらい読者へのメッセージは、「聴覚障がい」は人間として壊れているわけでも欠損してるわけでもないことを認識してほしい。
それに、聴覚障がいという言葉に、素晴らしいギフトがある。
「聴」の漢字に注目してほしい。
部分ごとに、分解してみよう。
「耳」
「+」
「目」
「心」
耳の上に、目と心がプラスされている。
目や心できいている。
耳がきこえる人は、音声で喋っていても、必ずしも常に心が通いあってるわけでない。
けど、ろう者は、心で話すということを意識し、「伝わった!」を大事にしている。僕はそれをろうの強みだと思っている。

今の活動を継続することで、まだ手話や、ろうのことを知らない方々に、手話や、ろうのたまらない魅力を知ってほしいと思う。

【もがいて見えたこと、大事な「心のバトン」のこと】

陸上を続けていく中で、もがいたことはあるかと言えば、何度もある。
その時、どのような工夫をすれば良いと思うだろうか。
本気と手抜きのバランス、自分に厳しく、甘くといった使い分けを上手にコントロールすることである。
僕の場合、2020年のコロナウィルスの流行でモチベーションが大きく下がった
2020年は社会人となったが、2月から6月まで長い春休みが続いた。団体で練習ではなく、個人練習をしていて、孤立感で心が折れていた。
2021年8月ポーランドで国際試合があった。気持ちはボロボロの状態だった。
けども、驚くことに自己ベストを更新でき、メダルも獲得できた。
自分でも不思議なのだが、「メダル無理じゃない?」と諦めようとした時、良い意味で肩の力が抜けたのだ。
「試合を楽しもう!」
と、意識の切り替えを行い走ると、自己ベストを塗り替えることができた。
まだ自分は戦える」と喜べた。
この時まで、自分の“いつも通り”をし続けて、最低限のことを怠らなかったからの結果だと確信した。

今、もがいている人に対してアドバイスするとするなら、結果が出るまでは、何もかもとても苦しいと思う。自分もそうだったからわかる。結果が出るまでわからないから見えない出口を探しているような気分だった。
決勝戦のゴールまで走り抜けないと、どうなるかわからない。
毎日本気で頑張ろうとしたら頑張れると思う。

けど、本気はずっとは続かない

結果が見えない時はほんとうにもがくしかない、けど、今失敗しても将来になったら返ってくることもある。僕が、高校のインターハイの決勝戦で勝った気持ちになってチャンスを逃した時の学びを次に活かせたように、真摯に失敗を受け止めて、ここにある今に集中して、未来につながろうとする気持ちを持つことが肝心だと思う。僕も苦しかったけど、頑張った先に頑張って良かったと思えることもあった。
僕は、そうしたことがあったから、次もそこに向かって、可能性を信じて、陸上を続けている。

僕が一番大事にしていることは何だろうと思うだろうか。
答えは“心のバトン”をしっかりと渡し、つないでゴールすることである。
一つの目標に向かって、ゴールテープを切る
その温かな経験をしたのは大学時代だ。
大学では、聴者の中でコミュニケーションをとるのは難しかった。口話がほとんどで、「こんにちは」、「よっ元気?」とかほんとうに軽い話しかできなかった。雑談ができたのは仲の良い3人だけだった。
けれど、マイル選手として選ばれて、目標に向かってチームと一緒に気持ちを一つにして、ゴールするという経験は特に得難い感情をいただいて、チームで一緒に練習をすること、励まし合い、目標に向かって、バトンを渡す練習をすること。
心が通い合ったバトン渡しのことを、僕は“心のバトン”と言っている。
リレーでは、お互いの走り方のくせ等を知った上で、タイミングよくバトンを渡せるように慎重に調整を心掛ける。
これは絶対の信頼がないとできないことだ。
お互いの走りを理解しきって、全力で自分も走る。そして、結果を残す。
“心のバトン”という、しっくり行く、それにふさわしい体験が自分の大きな財産となっている。
この財産をこれからも最大限、活かしていきたい。

【支えられて真っ直ぐに育ち続けていく】

最後に、僕の名前の由来を語って終わりにしたい。
真樹(まき)という名前は、
「真っ直ぐな大樹のように育ってほしい」
という願いが込められた。名前の通りに育ったかどうかというと、ぐにゃぐにゃの形で育ってきたかなと思うのだが、家族だけでなく周囲のサポート、つまり、恩師やこれまで出会ってきた友人らに支えられて真っ直ぐに育って来られたと思う。いつも支えてくれた誰かがいたことに感謝でいっぱいだ。ありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。

山田真樹
デフリンピックの選手として活動中。アスリート。2017年、トルコのサムソンで金メダル獲得。

中川 夜
中川 夜

1991年生まれ。ろう者ライター。聴覚と精神の重複障害者。
恩人から対話による深い安心を頂いたことで生きやすさを覚え、書物でなく、人との間の言葉のやり取りで、安心の循環を生み出す方法に興味を持つ。シナリオセンターに通いつつ、現在は任意団体デフシル-DEAF SHIRU-で、絵本製作プロジェクトに参戦中。また、聴覚障がいの多様性を発信中。

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